本光寺について

明亀山 本光寺の歴史
当寺院は、今からおよそ350年程前に建立され、明治14年、18世貞應院惠観庫舎を取り除きました。
明治22年には、20世西都省我庫舎玄関を新築、また、その時に本堂の天井を全て新築し、ご本尊も全て新調しております。
現在、住職は25世となります。
県指定文化財”本光寺の笠塔婆”
本光寺の笠塔婆。
本寺伝には「幸福を呼ぶ供養塔」と記してあり、高さは2.4mございます。
昭和45年、熊本市によりこの全てを有形文化財に指定されました。
笠塔婆の塔身は、凝灰岩で造られた下の角柱の部分が昭和46年に県指定となり、高さは95cmあります。
この表面には朱色の痕跡が見られ、四方には四仏の梵字『正面種子キリークから順に、バン(金剛界大日)、ウン(阿悶)、タラーク(宝生)』が刻んであります。
また、各面とも「月輪の中に種子」を彫ってあり、これを蓮華座の上に載せてあります。
二段のしころ葺の丸瓦の先端には優美な巴紋を配し、四隅には鬼瓦をあらわしてあるため、鎌倉時代の作と考えられております。
また、その上の水輪と三層の塔蓋は室町後期に造られたものと言われております。
正面の阿弥陀の梵時の下には安元元年(1175年)と記してあり、時代としては平安朝末期にあたります。
これは、現在確認されている在銘笠塔婆では最も古い部類に属します。


県指定文化財”本光寺の笠塔婆”
本光寺の笠塔婆。
本寺伝には「幸福を呼ぶ供養塔」と記してあり、高さは2.4mございます。
昭和45年、熊本市によりこの全てを有形文化財に指定されました。
笠塔婆の塔身は、凝灰岩で造られた下の角柱の部分が昭和46年に県指定となり、高さは95cmあります。
この表面には朱色の痕跡が見られ、四方には四仏の梵字『正面種子キリークから順に、バン(金剛界大日)、ウン(阿悶)、タラーク(宝生)』が刻んであります。
また、各面とも「月輪の中に種子」を彫ってあり、これを蓮華座の上に載せてあります。
二段のしころ葺の丸瓦の先端には優美な巴紋を配し、四隅には鬼瓦をあらわしてあるため、鎌倉時代の作と考えられております。
また、その上の水輪と三層の塔蓋は室町後期に造られたものと言われております。
正面の阿弥陀の梵時の下には安元元年(1175年)と記してあり、時代としては平安朝末期にあたります。
これは、現在確認されている在銘笠塔婆では最も古い部類に属します。

ご本尊
本光寺のご本尊には『十界大曼荼羅』(じっかいだいまんだら)が奉られております。
「南無妙法蓮華経」は”なむみょうほうれんげきょう”と読み、この七字で「法華経の教えに帰依(※きえ)をする」という意味を持っています。
※帰依(きえ):信仰。絶対の信を持ってより所とすること。
宗祖
日蓮宗の宗祖、日蓮聖人は鎌倉時代の僧侶で、安房(あわ)国長狭(ながさ)郡(現在の千葉県鴨川市)でお生まれになりました。
比叡山、高野山などで修業を積まれた後、法華経を帰依の対象とする日蓮宗を開かれました。
日蓮聖人が南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)と初めてお唱えになった1253年(建長5)4月28日が、日蓮宗、立教開宗の日となっております。


宗祖
日蓮宗の宗祖、日蓮聖人は鎌倉時代の僧侶で、安房(あわ)国長狭(ながさ)郡(現在の千葉県鴨川市)でお生まれになりました。
比叡山、高野山などで修業を積まれた後、法華経を帰依の対象とする日蓮宗を開かれました。
日蓮聖人が南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)と初めてお唱えになった1253年(建長5)4月28日が、日蓮宗、立教開宗の日となっております。

納骨堂
本光寺では、納骨堂の加入者も受け付けております。
屋内にある納骨堂では雨・風を気にせずにお参り頂けます。
納骨堂の形は、仏壇があり、その下に遺骨を収めるためのスペースが設けられております。
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